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棚田つうしん 第4号 2003(平成15年).12.7号  

棚田つうしん
2003.12.7号

 「ヤッホー!」、「ヤッホー!」。小学校中学年の子供の声が聞こえる。
〝やまびこ〟を期待して待っているのだろうが、何も返ってこない。
「ヤッホー!」「ヤッホー!」「ヤッホー!」「ヤッホー!」小学校中学年の子供の声の数が次第に増え、ついには「ヤッホー!」の大合唱となったが、残念ながらかすかにこだまする程度で〝エッヘン!と胸を張れるほどのやまびこ〟には程遠い。しかし、一歩も引かぬ固い決意の小学校中学年の子供達は〝ノド〇ンコ〟が取れそうな勢いで怒鳴りだしが相変わらず〝気の抜けたやまびこ〟が返ってくるだけだった。そんな状況の小学校中学年の子供達を気の毒に思った〝元来、とっても優しい性格の私〟は、彼らの声を真似て「ヤッホー!」と叫んでみたが、日ごろの不摂生のせいで〝ボーイソプラノとは程遠いダミ声〟しか出ず、その声に驚いた〝となりの木で休憩中の名前も知らない鳥〟が悪態をつきながら私の頭の上を飛んで行った。〝休憩中の鳥〟には迷惑をかけたが、「ヤッホー!遊び」に飽きだしていた小学校中学年の子供達には、興味の対象が〝やまびこ〟から〝ダミ声のヤッホー〟に移り、その犯人を探すための〝捜査隊〟が急遽組まれ、収穫が済んですっかり乾ききった田圃の中を走り出した。〝捜査隊〟という言葉に鋭敏な私は、本能的に「見つかるとマズイ。」と判断し、カメレオンのように同化しようと石垣にへばりついてみたが、敵もなかなかのもので、「捜査一課長のような小学校中学年の男子」にアッサリ見つかってしまい、小さな声で「ヤッホー」と尋問されたので、〝潔い私〟は「ヤッホー」と白状して捕らえられてしまった。〝容疑者確保〟に大喜びした小学校中学年捜査隊一行は〝元来、とっても優しい性格の私〟に次々と「ヤッホー」攻撃を浴びせかけ、追求の手を緩めなかった。そんな情け容赦のない、小学校中学年御一行の相手をするのが少々面倒になってきたころ、彼らを引率してきた「私はこの生徒達に情熱のすべてをかけています」というような〝年のころなら24、5歳の、上品でスレンダー美人の女先生〟に、それはそれはとっても優しい声で「石垣掃除ですか?」と尋ねられ、日ごろ「剛の者」の相手ばかりしていて、〝上品〟という言葉に縁の薄い、経験不足で気の弱い私は、地元農家の仕事熱心な人になりきり「ハイ、そうです。」と応えたが、その声が裏返っていたので動揺していることは明白だった。「坂元棚田」には、たくさんの種類の花が咲き、見たこともないような小さな昆虫がウジャウジャいます。と説明すると、女子は〝お花探し隊〟を、男子は〝小さな昆虫探し隊〟を結成し、大騒ぎしながら坂道を降りていった。〝年のころなら24,5歳の、上品でスレンダー美人の女先生〟は少し困ったような顔をしていたが、ニッコリ笑って「ありがとうございました。頑張ってください」と言い、上品に降りていかれた。その後の作業が猛烈にはかどったのは言うまでもない。
  
  11月16日(日)
 晩秋の「坂元棚田」は、清楚でスレンダー美人の〝コダチダリア〟の花が恥ずかしそうにうつむき加減で私達を出迎えてくれました。
 稲刈りの大変さを身にしみて痛感していた私は、
そば収穫もかなり〝キツク〟なるのだろうと〝決死の覚悟〟で望みましたが、地元農家の方々が大勢参加してくださり、また私達〝素人軍団〟も鎌の扱いに少し慣れてきたこともあって、「坂元棚田そば大収穫祭」はアラマのうちに終了した。
 10キロの種を撒いて12キロの収穫しかなかった〝大笑い〟の昨年とは大違いで、今年は80キロ位の収穫が見込める〝エッヘンの大豊作〟だそうです。
 それにしても、山村ハル子さんとファッションに特徴のある尾崎さんの鎌さばきは圧巻で、さっきまで蕎麦を刈っていた鎌で、ペティー・ナイフで剥くよりきれいに柿の皮を剥いて見せた。あの鎌に〝分銅の付いた鎖〟をつければ「宍戸梅軒」と互角の勝負になるに違いない。
 
 11月30日に予定されていた、めぐり棒、とうみを使っての蕎麦脱穀は、〝恒例の雨天〟のため中止となり、来年のお楽しみとなりました。めぐり棒を作ってくださった、ハル子さんのご主人の山村宗雄さんに御礼を申し上げ、来年もよろしくご指導くださいますようお願い申し上げます。「伝説の山葵田」にも是非一度連れて行ってください。

 12月5・6・7日の3日間 宮崎山形屋イベントショップで「日南酒谷・棚田ふるさとフェア」が開かれました。
 あいにくの曇天にもかかわらず、開店前の準備中からお客さんが大勢つめかけたが、〝売り娘?担当〟の山村ハル子さん谷口ハル子さんの〝ダブル・ハルちゃん〟に加え、〝スッカリその気の尾崎さん〟という準備万端、最強の布陣はテキパキと売りつけていた。
〝店頭に出せるような顔ではない〟という理由で店内展示の写真パネル貼り係を命じられた私はブツブツ言いつつ「シンクタンク宮崎」の取材などを受けながらパネルを貼り終えたころ、店頭の商品はアット言う間に完売していた。最強トリオの圧倒的大勝利であった。
 店じまいを待ちかねていたかのように雨が降り出した。帰路のバスの中で窓を打つ雨音を聞きながら、心地よい疲労感を感じながらウトウト居眠りをしてしまった。
 何もしていなくても疲れるものなのです。

 12月7日(日)
「坂元棚田大収穫祭」は〝天気晴朗なれど風強し〟の生憎の条件にも拘らず、早朝より大勢の人がつめかけ、過去に例を見ない大賑わいとなった。
 いつになく早めに家を出、いつになく定刻前に会場に到着したがもうすでに駐車場は満杯。市役所職員の指示に従い、仕方なく路上駐車となった。見たことのある顔、初めて見る顔。何が何やら、様々な人が入り乱れ、そばを打つ人、湯を沸かす人。餅をつく人、こねる人。それぞれ自分が出来ることを楽しんでいた。


そんな中での一番人気は〝日南市役所農政課有志〟による「ポン菓子」で、老若男女こぞって口にほうばっていた。
 また、酒谷中学校生徒の趣向を凝らせたゲームと伝統の舞踊は参加者の拍手喝采を浴びた。
そして、何より嬉しかったのは、地元農家のほとんどの方が参加して下さり交流できたことです。
 私達の取り組みは、少しずつですが着実に前進しています。「美しい坂元棚田」は人の心も美しくしてくれます。短気で神経質な私でも〝棚田〟にくると何も気になりません。〝棚田の風景〟が「心の棘」を取ってくれ、気持ちを優しくしてくれます。正に〝癒しの棚田〟なのです。この財産をいつまでも大事に残せるように頑張ろうと思っています。


 「油津探訪ツアー」は、参加者が少なかったため、「わたしら怪しい探検隊」となり、日高会長先導の下〝堀川運河・石堰堤〟〝赤レンガ館〟〝杉村金物本店〟〝堀川橋〟と案内してもらい、それぞれ説明を受けたがあまりよく分からなかった。しかし、日高会長の「坂元棚田」のみならず、飫肥、油津に対する熱い思いはビンビン伝わり、彼が多忙な理由もよく理解できた。大事なことは美辞麗句ではなく、熱意だということを教えてもらった。

☆新年1月17日(土) 午後2時より 「道の駅・酒谷 会議室」に於いて〝オーナー会議〟が開かれます。役員以外の方でも都合のつく方、意見をお持ちの方は是非参加してください。
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by tnd8585 | 2005-12-21 09:50 | 棚田つうしん | Trackback | Comments(0)
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