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棚田つうしん 第5号 2004(平成16年).1.17号  

棚田つうしん
2004.1.17号


 新年早々、こんなことを言うのは少々勇気の要ることなのですが、〝我が家の味噌汁〟はすこぶる不味い。
どう不味いのか一口では言えないぐらい〝年季の入った不味さ〟なのである。
本物志向の家人は、枕崎の鰹を使い、日高の昆布を使うという文句のつけようのない材料を調達するのだが、如何せんそのバランスに問題があるようで、ダシが利きすぎていたり、まったく利いていなかったり、味噌が濃すぎたり、薄すぎたりと、そのバリエーションの豊富さは他の追随を許さない。とにかく同じ味のものが二日続くことは絶対にない。
また、味噌汁の具がダイコンであったり、ジャガイモであったり、シジミであったり、アサリであったりしてもそんなことはまったく関係がなく、圧倒的な〝力技〟を発揮し、それらの個性を完璧に抹殺するのである。
これだけ数多く作っていれば〝マグレあたり〟があってもよさそうなものなのだが、不思議なことにそこは見事に避けて通っている。もうここまでくればそれはもう芸術的ですらある。
 こんなことを家人に直言することは〝ボブ・サップ〟にケンカをふっかけるようなもので、とてもデンジャラスなことなのである。従って、そんな勇気を持ち合わせていない私は、味が濃すぎるときは「愛情が入りすぎている。」と言い、逆に薄いときは「上品な味だ」と言って文句を言うのだが、元来単純な思考回路の持ち主の家人は困ったことに「アラ、そう」と言って、けっこう嬉しそうなのである。
 こんな話を職場でしていると、仕事仲間の一人が
「まだまだ甘い。それなら見かけだけでも普通じゃないですか。うちの母親が作る味噌汁は想像を絶しますよ。」と言い、
「うちの母親は、パチンコの景品で貰ってきた〝スルメ〟でダシをとり、それがそのまま具になるという、およそこの世のものと思えない味噌汁を作るんですよ。」と嘆き、さらに
「スルメ丸ごと入りの味噌汁ですよ。想像してみてくださいよ。悲惨デスヨ。」と訴えた。
「それでもまだ美味しければいいのですが、それが見かけどおりメチャメチャ不味い!」
「インスタントのほうが余程美味しいと思うのですが、それを言ってしまったら可哀想だと思うから我慢してるんですけど、ホントにエグイ味ですよ!。あれを美味いと思っている神経が理解できん。」とボヤいた。
彼の家の冷蔵庫には、その景品のスルメが山盛り入っているらしい。 彼の苦悩は当分続く。
 本当に世の中、上には上があるものである。
もしかしたら、私は恵まれているのでしょうか。
 彼の母親の作る味噌汁も一度味わってみたい気もする。
 1月17日(土) 午後2時より 「道の駅・酒谷」に於いて〝オーナー会議〟が開催されました。
出席者は オーナー会から 恒吉、石橋、上平、尾崎、小林の各委員
     グリーンツーリズムから 日高会長、野辺さん
    読売新聞 内田記者の傍聴で開かれました。

 最初に日高会長から、昨年12月に行われた「収穫祭」に、〝坂元地区〟の皆さんがこぞって参加されたことについて、私達の取り組みが確実に発展進歩していることが実感できたとの謝辞と報告があり、次年度も重ねてより充実したものにしたいとの抱負が述べられた。

〝16年度年次計画〟は、昨年度のスケジュールをベースに討議され、基本的には例年通りとし、「収穫祭」を10月末か11月に開催することとし、12月には、「そば収穫祭・手打ち体験大会」を開くということで調整されます。

 9月初旬に、佐賀県相知町で開催される「第10回全国棚田サミット」に、オーナーから希望者を募って参加したいとの提言があり、7月中をメドに募集することになりました。

 肥料化を目的とした「レンゲ畑構想」は、たくましい雑草に阻害され棚田では困難だとの報告があり、委員から「菜の花」ではどうか?との提言があり、検討することになりました。

〝耕作放棄地〟をできるだけ無くすため、「オーナー畑」を作って、各々が随時収穫して帰れるようにしてはどうかとの提言があり、検討することになりました。

「新鮮野菜の宅配」について、準備するスタッフの数と時間的な問題で、オーナーの数が増えれば困難な状況になるとの要望があり、遠方のオーナーやイベントに参加するのが困難なオーナーには従来通りし、参加できるオーナーには「金券・引換券」を配り、〝道の駅・酒谷〟で交換して貰えるようにしてはどうかという提言があり、検討することになりました。

 地元農家の高齢化対策として、「不耕起農法」の提言もありましたが、水の確保の問題があり困難だということです。興味・関心のあるメンバーでプロジェクトを組んで勉強してみたいと考えています。

 日高会長が取り組んでおられる「農家・民宿」は、3月下旬完成予定だそうです。
「亭主族」の皆さん、もう少しの〝ガマン〟です。

☆ 2月21日(土) 午後2時より 「道の駅・酒谷」に於いて、〝オーナー会議〟が開かれます。
役員以外の方でも、都合のつく方、意見をお持ちの方は是非参加してください。

 
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by tnd8585 | 2005-12-21 09:58 | 棚田つうしん | Trackback | Comments(0)

棚田つうしん 第4号 2003(平成15年).12.7号  

棚田つうしん
2003.12.7号

 「ヤッホー!」、「ヤッホー!」。小学校中学年の子供の声が聞こえる。
〝やまびこ〟を期待して待っているのだろうが、何も返ってこない。
「ヤッホー!」「ヤッホー!」「ヤッホー!」「ヤッホー!」小学校中学年の子供の声の数が次第に増え、ついには「ヤッホー!」の大合唱となったが、残念ながらかすかにこだまする程度で〝エッヘン!と胸を張れるほどのやまびこ〟には程遠い。しかし、一歩も引かぬ固い決意の小学校中学年の子供達は〝ノド〇ンコ〟が取れそうな勢いで怒鳴りだしが相変わらず〝気の抜けたやまびこ〟が返ってくるだけだった。そんな状況の小学校中学年の子供達を気の毒に思った〝元来、とっても優しい性格の私〟は、彼らの声を真似て「ヤッホー!」と叫んでみたが、日ごろの不摂生のせいで〝ボーイソプラノとは程遠いダミ声〟しか出ず、その声に驚いた〝となりの木で休憩中の名前も知らない鳥〟が悪態をつきながら私の頭の上を飛んで行った。〝休憩中の鳥〟には迷惑をかけたが、「ヤッホー!遊び」に飽きだしていた小学校中学年の子供達には、興味の対象が〝やまびこ〟から〝ダミ声のヤッホー〟に移り、その犯人を探すための〝捜査隊〟が急遽組まれ、収穫が済んですっかり乾ききった田圃の中を走り出した。〝捜査隊〟という言葉に鋭敏な私は、本能的に「見つかるとマズイ。」と判断し、カメレオンのように同化しようと石垣にへばりついてみたが、敵もなかなかのもので、「捜査一課長のような小学校中学年の男子」にアッサリ見つかってしまい、小さな声で「ヤッホー」と尋問されたので、〝潔い私〟は「ヤッホー」と白状して捕らえられてしまった。〝容疑者確保〟に大喜びした小学校中学年捜査隊一行は〝元来、とっても優しい性格の私〟に次々と「ヤッホー」攻撃を浴びせかけ、追求の手を緩めなかった。そんな情け容赦のない、小学校中学年御一行の相手をするのが少々面倒になってきたころ、彼らを引率してきた「私はこの生徒達に情熱のすべてをかけています」というような〝年のころなら24、5歳の、上品でスレンダー美人の女先生〟に、それはそれはとっても優しい声で「石垣掃除ですか?」と尋ねられ、日ごろ「剛の者」の相手ばかりしていて、〝上品〟という言葉に縁の薄い、経験不足で気の弱い私は、地元農家の仕事熱心な人になりきり「ハイ、そうです。」と応えたが、その声が裏返っていたので動揺していることは明白だった。「坂元棚田」には、たくさんの種類の花が咲き、見たこともないような小さな昆虫がウジャウジャいます。と説明すると、女子は〝お花探し隊〟を、男子は〝小さな昆虫探し隊〟を結成し、大騒ぎしながら坂道を降りていった。〝年のころなら24,5歳の、上品でスレンダー美人の女先生〟は少し困ったような顔をしていたが、ニッコリ笑って「ありがとうございました。頑張ってください」と言い、上品に降りていかれた。その後の作業が猛烈にはかどったのは言うまでもない。
  
  11月16日(日)
 晩秋の「坂元棚田」は、清楚でスレンダー美人の〝コダチダリア〟の花が恥ずかしそうにうつむき加減で私達を出迎えてくれました。
 稲刈りの大変さを身にしみて痛感していた私は、
そば収穫もかなり〝キツク〟なるのだろうと〝決死の覚悟〟で望みましたが、地元農家の方々が大勢参加してくださり、また私達〝素人軍団〟も鎌の扱いに少し慣れてきたこともあって、「坂元棚田そば大収穫祭」はアラマのうちに終了した。
 10キロの種を撒いて12キロの収穫しかなかった〝大笑い〟の昨年とは大違いで、今年は80キロ位の収穫が見込める〝エッヘンの大豊作〟だそうです。
 それにしても、山村ハル子さんとファッションに特徴のある尾崎さんの鎌さばきは圧巻で、さっきまで蕎麦を刈っていた鎌で、ペティー・ナイフで剥くよりきれいに柿の皮を剥いて見せた。あの鎌に〝分銅の付いた鎖〟をつければ「宍戸梅軒」と互角の勝負になるに違いない。
 
 11月30日に予定されていた、めぐり棒、とうみを使っての蕎麦脱穀は、〝恒例の雨天〟のため中止となり、来年のお楽しみとなりました。めぐり棒を作ってくださった、ハル子さんのご主人の山村宗雄さんに御礼を申し上げ、来年もよろしくご指導くださいますようお願い申し上げます。「伝説の山葵田」にも是非一度連れて行ってください。

 12月5・6・7日の3日間 宮崎山形屋イベントショップで「日南酒谷・棚田ふるさとフェア」が開かれました。
 あいにくの曇天にもかかわらず、開店前の準備中からお客さんが大勢つめかけたが、〝売り娘?担当〟の山村ハル子さん谷口ハル子さんの〝ダブル・ハルちゃん〟に加え、〝スッカリその気の尾崎さん〟という準備万端、最強の布陣はテキパキと売りつけていた。
〝店頭に出せるような顔ではない〟という理由で店内展示の写真パネル貼り係を命じられた私はブツブツ言いつつ「シンクタンク宮崎」の取材などを受けながらパネルを貼り終えたころ、店頭の商品はアット言う間に完売していた。最強トリオの圧倒的大勝利であった。
 店じまいを待ちかねていたかのように雨が降り出した。帰路のバスの中で窓を打つ雨音を聞きながら、心地よい疲労感を感じながらウトウト居眠りをしてしまった。
 何もしていなくても疲れるものなのです。

 12月7日(日)
「坂元棚田大収穫祭」は〝天気晴朗なれど風強し〟の生憎の条件にも拘らず、早朝より大勢の人がつめかけ、過去に例を見ない大賑わいとなった。
 いつになく早めに家を出、いつになく定刻前に会場に到着したがもうすでに駐車場は満杯。市役所職員の指示に従い、仕方なく路上駐車となった。見たことのある顔、初めて見る顔。何が何やら、様々な人が入り乱れ、そばを打つ人、湯を沸かす人。餅をつく人、こねる人。それぞれ自分が出来ることを楽しんでいた。


そんな中での一番人気は〝日南市役所農政課有志〟による「ポン菓子」で、老若男女こぞって口にほうばっていた。
 また、酒谷中学校生徒の趣向を凝らせたゲームと伝統の舞踊は参加者の拍手喝采を浴びた。
そして、何より嬉しかったのは、地元農家のほとんどの方が参加して下さり交流できたことです。
 私達の取り組みは、少しずつですが着実に前進しています。「美しい坂元棚田」は人の心も美しくしてくれます。短気で神経質な私でも〝棚田〟にくると何も気になりません。〝棚田の風景〟が「心の棘」を取ってくれ、気持ちを優しくしてくれます。正に〝癒しの棚田〟なのです。この財産をいつまでも大事に残せるように頑張ろうと思っています。


 「油津探訪ツアー」は、参加者が少なかったため、「わたしら怪しい探検隊」となり、日高会長先導の下〝堀川運河・石堰堤〟〝赤レンガ館〟〝杉村金物本店〟〝堀川橋〟と案内してもらい、それぞれ説明を受けたがあまりよく分からなかった。しかし、日高会長の「坂元棚田」のみならず、飫肥、油津に対する熱い思いはビンビン伝わり、彼が多忙な理由もよく理解できた。大事なことは美辞麗句ではなく、熱意だということを教えてもらった。

☆新年1月17日(土) 午後2時より 「道の駅・酒谷 会議室」に於いて〝オーナー会議〟が開かれます。役員以外の方でも都合のつく方、意見をお持ちの方は是非参加してください。
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by tnd8585 | 2005-12-21 09:50 | 棚田つうしん | Trackback | Comments(0)

棚田つうしん 第3号 2003(平成15年).10.12号  

棚田つうしん
2003.10.12号


 実を申しますと、私は「大阪人」であります。
大阪、京都、奈良、神戸などみんな同じ「関西人」で一緒だと思われているかも知れませんが、冗談ではない。関西圏ほどお互いに独立している地域はない。
関西の人にお国自慢をさせると、和歌山、滋賀の人でも「自分の県が一番だ」と言う。それほど関西は個別に発達した文化の集合体なのである。
 京都人は、京都こそもともと一番偉いという認識がある。だから大阪人を見下しているところがあって、京都のものでないと買わない、使わないという頑固な一面がある。
 なんといっても御所があるし、天皇も、お公家さんも住んでいた所だから、偉いか偉くないかという意識調査なら一番に決まっている。京都で「この間の戦争で、あそこのお寺が焼けたんや」と言う年寄りの会話を、自分の尺度で測ってはいけない。この間の戦争といっても太平洋戦争ではなく、応仁の乱だったりするのである。
大阪には、大阪人しかあり難がらない神様がたくさんいる。そして、その代表が〝阪神タイガース〟なのである。ご存知のとおり万年最下位のプロ野球チームである。面白いのは時々発作的に強くなり優勝したりする極端なチームなのだ。そして今年その大発作が起き、他チームが油断しているあいだに、アレヨアレヨのぶっちぎりのリーグ優勝を決めた。タイガースファンですら信じられないような「怪奇現象」なのである。大阪人が狂喜乱舞するのは仕方がないことなのだ。
近年のタイガースファンは、ひと試合勝っただけで「どや見たか!一連勝や!」と言い出す人が増えていた。それほど連勝に縁のない弱いチームなのである。しかし、どこかのチームのファンと違って、タイガースファンにとって強いことが必須条件ではない。たとえ最下位になろうが〝おもろいチーム〟だったらいいという構図になっている。もちろん強かったらもっといいが、弱いぐらいで神様の地位から降格するわけではないのだ。
 大阪人にとって、阪神タイガースこそは不滅の神様なのである。
狂喜のあまり、本来の話とはまったく関係のないことでかなりの紙面を費やしてしまった。

 8月31日に行われた「坂元棚田石垣草取り大清掃大会」は、あいにくの快晴のなかで行われ、80人以上もの大勢の参加で作業がはかどり、石垣たちは〝華麗に変身〟した。
いつものように少し遅れて到着した私達は、これまた少し遅れて来られた「上平さんご夫妻」と一緒に作業にかかった。昨年の、すぐにヘバッテしまった恥ずかしい教訓を生かし、日ごろ〝筋トレ及びフィットネスクラブ〟とはまったく無縁のお金のかからない方法で〝体力強化〟に努め、日よけ帽子及び田植え靴まで新調した「やる気満々の私」に比べ、他の三人はスニーカー姿で「ハイキングやないで!」という私のスルドイ指摘を無視し、仲良く作業に取り掛かった。
一人寂しく水の抜いていない田圃の石垣にへばりつき、悪戦苦闘している私を尻目に、サッサト作業を終えた三人は、ベコニアの花にカエルが乗っていると言って大騒ぎしていた。
 猛暑の中、いつになく結構頑張ったせいで、熱をもった筋肉たちを癒すために田植え靴を履いたまま滝のように流れる用水路に足をつけその心地よさに浸っていると、いつもファッションに特徴のある尾崎さんがやって来て、いきなり用水路に入って腰までつかり歓声を上げ、諸問題を一気に解決していた。やはり尾崎さんは〝只者ではない〟と実感した。
 昼食時に行われた「問答無用、大ソーメン流し大会」の模様がUMKで放映されていて、こんな私が映っていたそうである。後日そのことを周囲の人達から聞かされ、変に感心されたが誰も「次は自分も参加したい」とは言わなかった。
それにしても、ビデオカメラに気付かなかったのは迂闊であった。どうやら幕府の隠密の仕業のようだ。油断は禁物だ。
知人がニュースや番組で登場したり、紙面を賑わせているのを見るのは楽しいことなのですが、自分がそうなるとは夢にも思っていなかったので気恥ずかしくて、赤面の至りであります。
 「坂元棚田」がマスコミに取り上げられる頻度が増え、多くの方に関心を持ってもらえる機会が増すのは喜ばしいことですが、いうまでもなく「坂元棚田」は観光地ではありません。多くの人々の関心をどう本来の目的に結び付けていくか、ネットワークを広げるとともにしっかりと根付いたものに充実させていかなければなりません。
なんだか偉そうなことを言ってしまった……。

 10月12日。予定の稲刈りは、いつも通りの雨天の中「オーナー会議」に変更された途端、雨が上がり急遽〝予定通りの稲刈り〟が、これまたいつも通り強行された。
しかし、田圃に着いてみると昨夜来の雨で、元来乾いていなければいけない田圃がプール状態で稲刈りは止む無く中止となり、稲刈りの段取りのために谷口久馬さんが前日に刈り取っておいて下さった田一枚分の稲を架ける作業に変更になった。
 小雨の降りしきる悪条件にも拘らず、参加者多数だったため作業は「アッ」という間に終了した。そして、多少物足りなさを感じていた〝使命感に燃える参加者達〟は、誰言うともなく他の田圃の〝風や雨の重みで倒れている稲達〟を復活させる作業に取り掛かった。
あまり要領を得ない素人集団でも、そこは〝メラメラと燃え滾る闘志〟と〝棚田命〟の集団である。「怖いものなし」なのである。〝岩をも通す一念〟で様々なアクシデントを乗り越え〝気の毒な稲達〟を次々と復活させた。
 雨の中、家族で作業をしていた地元農家の方々が喜んでくれたのが何よりだった。

 作業終了後に再開された「オーナー会議」では、「オーナー会役員」の紹介と懇談会が引き続き行われ、それぞれの意見が述べられた。また「アンケート」をとり、今後の活動の参考にしたいという日高会長からの申し入れがあった。

 10月12日の楽しみにしていた稲刈りが〝いつも通りの雨〟で中止になったため、10月16日に順延された。
 当日は、打って変わった好天気で〝ケッコー暇な有志〟が多数参加し、作業は無事終了した。
それにしても、世の中は広い。そして〝ウーマンパワー〟は凄い。
我が「坂元棚田軍団」には、〝ミラクルパワーの山村ハル子さん〟を筆頭に、尾崎、川口両巨頭をはじめ錚々たるラインアップのご婦人方がおられますが、 今回〝南郷〟からボランティアで参加していただいた〝野川女史〟も、かなりの「剛の者」でありました。
ベテラン地元農業従事者「古沢家光さん」から、〝一条刈りバインダー〟の操作手順の教習を約5分ほど受けた「野川女史」は、いきなりセッセとバンバン刈りはじめ、参加者の拍手と喝采を浴びた。さらに、「坂元棚田軍団の逸材」尾崎、石橋両婦人に指導教習し、早くも〝免許皆伝〟となった。そして、希望者の体験が一通り終わってからは「野川女史」の独壇場で、次々と稲を刈って行く様は圧巻であった。
もし、彼女がイラクに行ったら今度は〝戦車〟を乗り回すに違いないと思った。
「野川女史」のおかげで、作業がはかどったのは言うまでもない。


「オーナー会」からのお知らせ

*11月16(日) 午前9時~  そば収穫大会

*11月30(日) 時間は未定  めぐり棒による、そば落し

*12月7(日) 午前9時~   収穫祭(各種イベント目白押しかも)

尚、詳細は「グリーンツーリズム」から案内があります。




佐土原の服部さん。収穫祭にでも会えたら嬉しいですね。
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by tnd8585 | 2005-12-21 09:46 | 棚田つうしん | Trackback | Comments(0)

棚田つうしん 第2号 2003(平成15年).7.20号  

棚田つうしん
2003.7.20号


 まず最初に、この度の集中豪雨で被害に遭われ犠牲になられた水俣市宝川内集地区の棚田農家の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
棚田を愛する者の一人として、断腸の思いを禁じえません。
シラス台地の危うさ、怖さをあらためて思い知らされた気がします。

 扨て、「第1回 坂元棚田オ-ナ-会議」は、恒例の雨天のなかで無事強行され、こんな〝生憎のお天気〟にも拘らず大勢のオ-ナ-が参加され、〝道の駅酒谷・大会議室〟は「満員御礼」の垂れ幕が出そうな勢いでしたが、準備不足のため幕はでませんでした。

予定の挨拶もそこそこに、少し小降りになった今がチャンスとばかりに、各々が首から名札をぶらさげた「酒谷地区散策探検隊一行」は車に分乗し、最初の目的地〝小布瀬の滝〟に向かった。

「一本気で強情な梅雨前線」の異常な頑張りの影響で〝豊かな水量になった小布瀬の滝〟は結構堂々としていて、ライトアップの準備までされていてその本気ぶりが感じとれた。
〝ガイド役の日高会長〟の滝の由来を「聞こえの良いほうに変える」という〝大胆且つ斬新なアイデア〟に、「由来」とはそういうものなのだと感心し、納得した。
さらに、少し上のほうに〝祠〟があるということでしたが体力的な理由でこの度は辞退した。

小布瀬の滝から、国道の陸橋を挟んで5分ほど歩くと〝大谷石橋〟が見える。
アーチ型の綺麗な石橋は、近年まで国道の一部としてその責務を十分に果たしていたのにもかかわらず、地元の人々でさえその存在を忘れていたという〝気の毒な石橋〟で、その罪を深く反省した地元有志の努力で見違えるように〝華麗なる変身〟を遂げたが、その生い立ちなどの歴史的評価は後の話になりそうです。
石橋の下に広がる田圃の中に〝妙にリアルな案山子〟が存在し、そのリアルさが〝とんでもない悲劇〟を生んだがその責任は彼にはない。
〝華麗なる大谷石橋〟をもっと近くで見たいという〝健脚自慢の探検隊員〟は畦道を一周し、その目的を果たしたが〝元来ズボラで体力に自信のない私〟は〝ガイドの日高会長〟の流暢な説明を聞きながら、国道陸橋の下で〝健脚自慢の探検隊〟の帰りを待っていた。
〝ガイドの日高会長〟の説明も終わり、〝健脚自慢の探検隊員〟も集合し、次の目的地に向かうために歩き始めたとき「酒谷地区散策探検隊副隊長・川口さん」の奥さんが突然〝華麗なる大谷石橋〟に向かって大きな声でご主人を呼んだが、もうすでに奥さんの隣に居た「酒谷地区散策探検隊副隊長・川口さん」は〝何のことだという顔で〟自身の存在を告げると、川口副隊長夫人は笑い転げ、それにつられて周囲も大爆笑となった。
〝川口副隊長〟と〝妙にリアルな案山子〟のファッションが「帽子の色以外同じ」だったことが原因の総べてで、〝少しオチャメな川口夫人〟の責任では断じて無い。
その証拠に私自身も、「あの人は、いつまで石橋を見ているつもりなのかな?」「それにしても、動かないな?」などと思っていたが、そのことは内緒にしておいた。

そんな「川口副隊長・人違い事件」があったあと、〝探検隊一行〟は「酒谷川源流秘密基地」に向かったが折からの豪雨に行く手を阻まれ、さすが「秘密基地」だけに到達するだけでも容易ではないことを思い知らされた。
「秘密基地探検は次回(いつのことだかわかりませんが)」ということで、「酒谷地区散策探検隊」は解散。急遽、予定通り「坂元棚田見学ツアー」と改組したが誰も反対しなかった。

〝個性的で独創的なアヤフヤ田植え〟で、その成長が懸念されたが、そんな心配をよそに「苗達」は青々と見事に根付き、蛙ファミリーやアメンボウなどがスイスイ泳ぎまわっていた。
〝蛾の幼虫の大量発生〟の被害にあうことも無く、相変わらず「器量よしの坂元棚田」であることに安心し、日々の谷口さんの行き届いた管理にひたすら感謝。
「見慣れた風景」が「見飽きない」のは、こんな努力の結晶があるからだと思います。

本題の「オーナー会議」は、別紙報告のとおり活発な意見交換が行われ、各オーナーの棚田に対する熱意が伝わり、より充実したオーナー制度に発展することが確信できた。
また、〝小学生の古賀ジュニア〟も堂々と質問され、その存在をアピールした。
さまざまな立場の人が、それぞれの思いを述べ合うことは、棚田の将来にとって本当に喜ばしいことだと思います。こういう機会が定期的に開かれることを願っています。

「宮日新聞」のせいで、個人的に悩んでいた「坂元地区六地蔵の謎」は、〝ものしり博士の古沢さん〟の登場で無事解決。おかげで安心して寝られます。
「謎の六地蔵」まで案内していただき、ビックリ。六体の地蔵だとばかり思っていたが、実は六面体の地蔵で、このことは「案山子と間違えられた川口さん」に説得力ある解説をしていただき、
素直に納得。「案山子に間違えられた川口さん」は「さらにものしり博士の川口さん」となり、もっと話を聞いていたかったが、何しろ一本道を我が物顔で団体で占領していて、通行の邪魔になるのでやむなく解散した。
棚田を訪れるたび「謎の六地蔵」に逢える楽しみができた。

しかし、何故「さらにものしり博士の川口さん」があんなに地蔵について詳しいのか、新しい「謎」が一つ増えた。
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by tnd8585 | 2005-12-21 09:12 | 棚田つうしん | Trackback | Comments(0)

棚田つうしん 2003(平成15年).6.15号 創刊号

棚田つうしん
2003.6.15号


 気象庁の〝梅雨入り宣言〟の期待に応えようと連日に亘り頑張り続ける〝律儀で傍迷惑な梅雨前線〟のせいで、乾燥機つき洗濯機などという〝高級家庭電化製品〟にはとんと縁のない我が家では、部屋移動のたびに〝洗濯物のれん〟をくぐらなければいけないという悲惨な状況にあります。

 そんな訳で、〝第2回坂元棚田オーナ―参加大田植え大会〟は、
「こんな雨では昨年同様きっと中止に違いない。」
などとタカをくくり、もう一眠りしようと気楽に考えていた私に、念のために問い合わせた大会関係者から
「今日はやります。」
との〝有無を言わさぬ毅然とした一言〟でさあ大変!大慌てで田植え靴やらレインコ-トやら着替えに弁当にカメラに現金。テンヤワンヤの大騒ぎ!。何度車と玄関を往復したことか…。
それにしても、昨年来何かイベントがあるたびに雨にたたられています。もしかしたら関係者の誰かの先祖が〝アメフラス・オオミノカミ〟と〝縁故関係〟があるのではないかと推察される。
出発してからも、これは何かの間違い、もしくは日高会長の嫌がらせ、又は彼の個人的な都合により今日するしかないのでは?。などと様々な疑念が渦巻き、ブツブツ言っている間に駐車場に着いた。

駐車場入り口では、案内及び誘導兼送迎担当の日南市役所職員の方々が、ずぶ濡れになりながら「送ります。」とやさしく声をかけてくれたが、指定の場所を知っていた〝経験豊富な私〟は、「ありがとうございます。大丈夫です。歩きます。」とキッパリと言い、少し歩いてから「やっぱり送ってもらったほうがよかったかな?」などとすかさず後悔しながら面目を保った。

タタミの表替えをし〝すっかりヨソ行きの顔〟になった指定場所の坂元公民館では、もうすでに大勢の人がラッシュアワ―のようにひしめき合い、会の盛況ぶりに驚きつつ〝気の弱い私〟は一番端の隅のほうでおとなしくしていた。
日南市役所農政課・中川さんの進行は相変わらずスムーズで、異議の申し立てや緊急動議の提案などといった物騒なことは一切なく、いつのまにやら会費を徴収されていた。

 少し小降りになった雨にホッとしながら、準備万端整った田んぼに到着した私たちは抽選により決められた所定の区画に陣取り〝びしょ濡れ田植え〟のスタ-トとなった。
丹精込めて作られた苗を、あらかじめ指導していただいた古沢さんの教え空しく、それぞれが大胆且つ個性的な植え方で〝充実感および満足感〟に浸り「これでどうだ」と胸を張ったが、
後を管理していただく〝谷口久馬さんのため息〟が聞こえてきそうだった。

どんな〝雲形定規〟を使ってもこんな曲線はかけないという〝苗達の連なり〟をコ-ス代わりに、「バタフライをするアメンボウとクロ-ルで泳ぐカエルが競争していた。」と言う私の〝夢のある主張〟を家人は無視し、セッセと昼食の準備をしていた。


 今回も、地元農家の皆様の〝素朴で心のこもったもてなし〟に感謝するのはもとより、いつもながら裏方で下支えしていただいている、農政課長をはじめ日南市役所職員の皆様に厚く御礼申し上げます。
 何もかも手探りで始まった取り組みも一定の評価を得、今年もまた継続され、参加者が多数増えたことは喜ばしい限りです。
今回はまた、若い層の参加や複数のファミリ-での参加が見られ、棚田の将来を考えると本当に嬉しくおもいます。
しかしその反面、地元の方々の負担を考えると「このままでいいのか?」という疑問も同時に生まれてきます。
いうまでもなく、私たちに大したことはできません。しかし、個々の棚田に対する思いは計り知れないものがあります。そんな思いを結集して、地元の方々の考えを最優先しながら協力し合い、交流を深めたいと願っています。
そして、そのためには地元農家と行政と私たちが〝三位一体〟となって活発に意見交換をし、相互理解を深め、意思統一をしなければなりません。

 この取り組みに参加した理由はさまざまでしょうが、〝坂元棚田〟に対する思いは大差ないものと思います。
困難な課題もたくさんあることでしょうが、その一つ一つを乗り越えながら、いつの日か150枚の棚田全部が生き生きと復活し、訪れた人々に〝坂元棚田の美しさ〟自然のすばらしさを見てもらい〝有無を言わさぬ圧倒的な感動〟を与えられることを願ってやみません。
 
 アセリは禁物でしょうが、時間がタップリある訳でもありません。
 私たちは、いつまでも〝お客様〟ではいられない。
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by tnd8585 | 2005-12-21 09:07 | 棚田つうしん | Trackback | Comments(0)