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棚田つうしん 第3号 2003(平成15年).10.12号  

棚田つうしん
2003.10.12号


 実を申しますと、私は「大阪人」であります。
大阪、京都、奈良、神戸などみんな同じ「関西人」で一緒だと思われているかも知れませんが、冗談ではない。関西圏ほどお互いに独立している地域はない。
関西の人にお国自慢をさせると、和歌山、滋賀の人でも「自分の県が一番だ」と言う。それほど関西は個別に発達した文化の集合体なのである。
 京都人は、京都こそもともと一番偉いという認識がある。だから大阪人を見下しているところがあって、京都のものでないと買わない、使わないという頑固な一面がある。
 なんといっても御所があるし、天皇も、お公家さんも住んでいた所だから、偉いか偉くないかという意識調査なら一番に決まっている。京都で「この間の戦争で、あそこのお寺が焼けたんや」と言う年寄りの会話を、自分の尺度で測ってはいけない。この間の戦争といっても太平洋戦争ではなく、応仁の乱だったりするのである。
大阪には、大阪人しかあり難がらない神様がたくさんいる。そして、その代表が〝阪神タイガース〟なのである。ご存知のとおり万年最下位のプロ野球チームである。面白いのは時々発作的に強くなり優勝したりする極端なチームなのだ。そして今年その大発作が起き、他チームが油断しているあいだに、アレヨアレヨのぶっちぎりのリーグ優勝を決めた。タイガースファンですら信じられないような「怪奇現象」なのである。大阪人が狂喜乱舞するのは仕方がないことなのだ。
近年のタイガースファンは、ひと試合勝っただけで「どや見たか!一連勝や!」と言い出す人が増えていた。それほど連勝に縁のない弱いチームなのである。しかし、どこかのチームのファンと違って、タイガースファンにとって強いことが必須条件ではない。たとえ最下位になろうが〝おもろいチーム〟だったらいいという構図になっている。もちろん強かったらもっといいが、弱いぐらいで神様の地位から降格するわけではないのだ。
 大阪人にとって、阪神タイガースこそは不滅の神様なのである。
狂喜のあまり、本来の話とはまったく関係のないことでかなりの紙面を費やしてしまった。

 8月31日に行われた「坂元棚田石垣草取り大清掃大会」は、あいにくの快晴のなかで行われ、80人以上もの大勢の参加で作業がはかどり、石垣たちは〝華麗に変身〟した。
いつものように少し遅れて到着した私達は、これまた少し遅れて来られた「上平さんご夫妻」と一緒に作業にかかった。昨年の、すぐにヘバッテしまった恥ずかしい教訓を生かし、日ごろ〝筋トレ及びフィットネスクラブ〟とはまったく無縁のお金のかからない方法で〝体力強化〟に努め、日よけ帽子及び田植え靴まで新調した「やる気満々の私」に比べ、他の三人はスニーカー姿で「ハイキングやないで!」という私のスルドイ指摘を無視し、仲良く作業に取り掛かった。
一人寂しく水の抜いていない田圃の石垣にへばりつき、悪戦苦闘している私を尻目に、サッサト作業を終えた三人は、ベコニアの花にカエルが乗っていると言って大騒ぎしていた。
 猛暑の中、いつになく結構頑張ったせいで、熱をもった筋肉たちを癒すために田植え靴を履いたまま滝のように流れる用水路に足をつけその心地よさに浸っていると、いつもファッションに特徴のある尾崎さんがやって来て、いきなり用水路に入って腰までつかり歓声を上げ、諸問題を一気に解決していた。やはり尾崎さんは〝只者ではない〟と実感した。
 昼食時に行われた「問答無用、大ソーメン流し大会」の模様がUMKで放映されていて、こんな私が映っていたそうである。後日そのことを周囲の人達から聞かされ、変に感心されたが誰も「次は自分も参加したい」とは言わなかった。
それにしても、ビデオカメラに気付かなかったのは迂闊であった。どうやら幕府の隠密の仕業のようだ。油断は禁物だ。
知人がニュースや番組で登場したり、紙面を賑わせているのを見るのは楽しいことなのですが、自分がそうなるとは夢にも思っていなかったので気恥ずかしくて、赤面の至りであります。
 「坂元棚田」がマスコミに取り上げられる頻度が増え、多くの方に関心を持ってもらえる機会が増すのは喜ばしいことですが、いうまでもなく「坂元棚田」は観光地ではありません。多くの人々の関心をどう本来の目的に結び付けていくか、ネットワークを広げるとともにしっかりと根付いたものに充実させていかなければなりません。
なんだか偉そうなことを言ってしまった……。

 10月12日。予定の稲刈りは、いつも通りの雨天の中「オーナー会議」に変更された途端、雨が上がり急遽〝予定通りの稲刈り〟が、これまたいつも通り強行された。
しかし、田圃に着いてみると昨夜来の雨で、元来乾いていなければいけない田圃がプール状態で稲刈りは止む無く中止となり、稲刈りの段取りのために谷口久馬さんが前日に刈り取っておいて下さった田一枚分の稲を架ける作業に変更になった。
 小雨の降りしきる悪条件にも拘らず、参加者多数だったため作業は「アッ」という間に終了した。そして、多少物足りなさを感じていた〝使命感に燃える参加者達〟は、誰言うともなく他の田圃の〝風や雨の重みで倒れている稲達〟を復活させる作業に取り掛かった。
あまり要領を得ない素人集団でも、そこは〝メラメラと燃え滾る闘志〟と〝棚田命〟の集団である。「怖いものなし」なのである。〝岩をも通す一念〟で様々なアクシデントを乗り越え〝気の毒な稲達〟を次々と復活させた。
 雨の中、家族で作業をしていた地元農家の方々が喜んでくれたのが何よりだった。

 作業終了後に再開された「オーナー会議」では、「オーナー会役員」の紹介と懇談会が引き続き行われ、それぞれの意見が述べられた。また「アンケート」をとり、今後の活動の参考にしたいという日高会長からの申し入れがあった。

 10月12日の楽しみにしていた稲刈りが〝いつも通りの雨〟で中止になったため、10月16日に順延された。
 当日は、打って変わった好天気で〝ケッコー暇な有志〟が多数参加し、作業は無事終了した。
それにしても、世の中は広い。そして〝ウーマンパワー〟は凄い。
我が「坂元棚田軍団」には、〝ミラクルパワーの山村ハル子さん〟を筆頭に、尾崎、川口両巨頭をはじめ錚々たるラインアップのご婦人方がおられますが、 今回〝南郷〟からボランティアで参加していただいた〝野川女史〟も、かなりの「剛の者」でありました。
ベテラン地元農業従事者「古沢家光さん」から、〝一条刈りバインダー〟の操作手順の教習を約5分ほど受けた「野川女史」は、いきなりセッセとバンバン刈りはじめ、参加者の拍手と喝采を浴びた。さらに、「坂元棚田軍団の逸材」尾崎、石橋両婦人に指導教習し、早くも〝免許皆伝〟となった。そして、希望者の体験が一通り終わってからは「野川女史」の独壇場で、次々と稲を刈って行く様は圧巻であった。
もし、彼女がイラクに行ったら今度は〝戦車〟を乗り回すに違いないと思った。
「野川女史」のおかげで、作業がはかどったのは言うまでもない。


「オーナー会」からのお知らせ

*11月16(日) 午前9時~  そば収穫大会

*11月30(日) 時間は未定  めぐり棒による、そば落し

*12月7(日) 午前9時~   収穫祭(各種イベント目白押しかも)

尚、詳細は「グリーンツーリズム」から案内があります。




佐土原の服部さん。収穫祭にでも会えたら嬉しいですね。
by tnd8585 | 2005-12-21 09:46 | 棚田つうしん
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